焼肉の大同門 社長ブログ

6年前から大阪の老舗焼肉チェーン「大同門」の社長をしています。その前は、IT企業の専務>別のIT会社の起業>同時通訳者>大阪府知事通訳。畑違いでも経営という点では共通します。経営や起業、プライベートも含めて書いてます。

自分が正しい、正しくないなんて、実はどうでもいい

どうしても自分が正しいことを証明したがるというのが人間の常ではありますが、仕事において成果を出すには、実はどうでもよいことだと思います。

もちろん自分が正しいと信じているので、信念をもって仕事ができるという部分もあるし、自信にもつながっているわけなので、「自分が正しくないと思え」といっているわけではありません。あくまでも、自らの考え方も含め他の意見や考え方を客観的にみることで、他の見方が自分の考えていたことよりもその状況に適している場合に、自分が正しいというものの見方を捨てて、他の見方を選択できるかどうかが大切だという意味です。そうすることで成果がでやすくなるからです。

この世の中、はっきりいって、自分が正しい、正しくないで、動いているわけではありません。

「自分だけが正しい」と思っているタイプの人は、何かあるとすぐに不満を持ちます。上司が間違っている、会社が間違っている、自分が正しいのに周りはそれを理解しないからことが上手く行かないという不満と悲観の中で、前向きに進むことをやめて、次に自分が正しいことをわかってくれそうなところに移動していきますが、結局は同じことを繰り返します。

仕事をするものとして、成長するために是非もっておくべきスキルが、他人視点で物事を見れること。自分が正しい、正しくないはいったん横に置いて、いろいろな方向からものごとを見てある状況下での最善のアクションを判断し選択していく訓練を常にしておくことです。実は客観的なものの見方というのは、訓練していないとなかなか身に付きにくいものかと思います。

私も自分が正しいことを証明するためだけのアクションや発言にならないように、日々気を付けておりますが、まだまだ反省するときもしきり。さらに研鑽します!

コミュニティの一員であることの意識が今こそ必要--シチズンシップ教育

アメリカにいる息子の声が聞きたくて、この週末に「電話できる?」とメッセージしたら「ダイニング・ホール(学校の食堂)の掃除をしているから忙しい」と返事が帰ってきました。少し後でようやく電話がつながったので、内心なにか悪戯でもして罰として掃除させられてんじゃないのと思って、食堂の掃除について聞いたら、それぞれの寮が持ち回りで掃除をしていて今週は自分の寮の順番だったと説明してくれました。

だんなにこの話をしたところ、「コミュニティにおけるCitizenship(シチズンシップ)ということをしっかりと教えてるんだな」とのコメントだったので、興味をもってシチズンシップという言葉を調べてみました。(ちなみに、だんなはアメリカ人です)

シチズンシップとは、市民権、市民としての身分という意味です。欧米では、コミュニティを構成する一人ひとりに与えられた地位身分をもつものは、権利と責任も平等にあると考えており、シチズンとして、他人を尊重したり、個人の権利と責任、人種・文化の多様性の価値など、社会の中で円滑な人間関係を維持するために必要な能力を見つけるためのシチズンシップ教育を重要な教育として捉えています。アメリカでは、連邦政府からこの教育について補助金もでるようです。

自分たちが使う食堂を、誰かが掃除してくれるのではなく、自分たちの責任で清潔な場所にしておく。コミュニティを使う権利に伴う責任。これを実体験の中から教え込むというのは、とても素晴らしいことだと思いました。

ダイバーシティがさらに進む日本社会に生きる私たちにも、大変必要な教育ではないかと思います。

どんな提案者の企画を採用すべきか

うちの会社でも企画提案というのはしょっちゅう行われています。その企画を採用するかどうかは、企画内容そのものはもちろんですが、提案者がどれだけ自分の企画に責任を持って提案しているかも重要な要素だと思ってます。

提案者の責任意識は、ある程度企画に見ることができます。ダメな一例をあげると、コンサルタント型の提案。よくコンサルタントがやるように、情報は大盛りです。他ではこういうのがこれだけ流行っている。うちではやってない。だからやったら成功するはずだという三段論法です。ところが、それが自社にあったものかどうかという深い検証はない。また、本人は企画者に徹しており、実行者は別におくパターンも結構あります。実行にこそ成功するか否かの境目があるというのに。このようなタイプの企画を通してしまうと、失敗しても、提案者は実行者の責任にして、自分の企画はよかったが実行部隊がわるかったと言い訳をいいかねません。

または、やってみないとわからないから自分を信じてほしいという教祖型の提案もあります。成功の仮説もたてれないのであれば、その仮説をどのように実現すれば成功できるのかも実際のところ深く考えていないため、企画の実現はまさに運次第というわけです。こういう提案は、結局成功させるという責任感が欠如しているため、成功の確率が低くなります。

企画提案における責任とは、必ず成功させると約束することではなく、成功の勝率を高めていく努力をし続ける覚悟を持っていることだと思います。そこがある提案者には、思い切ってまかせ、よしんば失敗してもそこから学んでもらうのが良いと思います。

もちろん、ビジネスにおいての企画なんて、すべて成功することはありません。成功は多くの失敗から生まれてくるものです。ただ、ビジネスに身をおくものとしては、成功の確率、つまり勝率をどうやってあげていくかということを常に追求すべきです。

 

 

 

社長になりたい人を社長にしてはいけない

社長になりたいとすごく思っている人を社長にするのは大変危険だと思ってます。

なぜかというと、そのような人は往々にして、社長になること自体が目的で、経営を執行する準備ができていない場合が多いと思われるからです。

私自身も30初めまで「社長」というものになりたかった時期があります。

もちろん、社長のもつ責任や経営で何をしなければならないのかなどはわかってません。親の会社をみながら、自分だったらこんな会社にできる、とか、自分であれば今の社長よりももっと先進的で新しいことができるとか、甚だ傲慢なことをお腹の中でぐるぐると思っていたわけです。

今から考えると、あのときの私を社長にしていたら、その会社は可哀想だったなぁということ。社長として責任の重さの認識やその重さを背負い込む覚悟もできてませんでした。しばらくして、「ごめんなさい〜」とギブアップしてたかもしれません。

その後起業して念願の「社長」になったわけですが、

そこでようやく、社長なんて「足りないこと」「できないこと」だらけだということに気がついたわけです。ないないづくしの中で、いかに利益を出せる会社を作っていくか。ほんと経営なんてかっこいいことってあまりありません。

社長になりたいのであれば、「苦労せよ」、「責任の重さを痛感せよ」といっているのではありません。あなたはなぜ社長になりたいのでしょうか。社長という肩書きに憧れているのでしょうか。それとも、肩書きにまとう「パワー(権力や金)」が欲しいのでしょうか。そうであれば、そんな簡単なものじゃないですし、社長という肩書きは「トロフィー」でもないので、やめておくべきです。それでは従業員が不幸になり、その結果会社が不幸になります。

そうではなく、社長として達成したいことがあるんだというのであれば、自ら起業してすぐに社長としてやればよいだけで、別に誰かが社長にしてくれるのを待つ必要はありません。

極論ですがそういう意味では、社長になるのを嫌がっているぐらいの人が社長になったほうがよいかもしれません。社長の仕事の大変さを知っているからです。

 

 

成功する人に見られる「グリット」という要素

「グリット(grit)」というのは、勇気や決意、やりぬく性格の強さとかを意味する言葉ですが、これが成功者に共通する要素として紹介されることが最近多くなっているような気がします。

そういえば、2010年のコーエン兄弟の映画にTrue Grit(邦題「トゥルー・グリット」、そのまんま、、)というのがありました。これは少女が父親殺しのかたき討ちで犯罪者を追跡するという映画で、確か 昔の映画のリメイク。主人公たちの勇気とかぜったいやるぞというようなところを表しているよいタイトルだと思います。(ただし、カタカナのままの日本語 じゃ、ちょっと伝わらないですよね。。。)

フォーブスForbes.com)でも、「グリット」をcourage(勇気)、conscientiousness(誠実性)、long- term goals and endurance(長期目標の設定と忍耐)、resilience(回復力), excellence vs perfection (完璧であることでなくエクセレンスを常に追求)という5つの側面から解説してました。これからみても、「グリット」って、「人間力」の一つなんでしょう。今までは成功するための知識面やスキル面が重要視されてきましたが、ようやく本質の部分、つまり「人間力」を高めることの必要性が問われる時代になったのではないかと思います。

「グリット」というものに改めて注目させるきっかけになったのがAngela Lee DuckworthさんのTedTalkと いわれます。彼女はトークの中で、成功と生まれもった才能と知能は関係ないといってます。生まれつき素晴らしい才能や知能を持っているにも関わらず、十分 な結果が得られなかった人はたくさんいるが、それはただ単に、その才能・知能を伸ばすための長期的な、継続的な努力が足りなかっただけなのだと。

やっぱり、「継続は力なり」なんです。

燃え尽きないこと

長く自分の会社を創業し経営していると、途中、「もうやめたい」と思う時が誰でもあると思う。

ベン・ホロウィッツの”Hard Things”に書かれているのと同様、事業の大小の差こそあれ、

会社を経営するということは、胆力がないとできないほどの辛苦の道である。

安定した微風の中での飛行はなく、常に乱気流の中での飛行が経営だ。

最近よく思うのが、創業経営者としては燃え尽きないようにすることが大事なんだろうなと

いうことだ。社員でも同様に大切なことであるとは思うが、社員の場合、燃え尽きると

別の会社に行くという選択肢もある。

創業経営者にはそんなに簡単にとれる選択肢ではない。

どこかのブログに書いてあったが、燃え尽きてしまったら、事業はたたむか、別の人に社長になってもらうしかない。

それでも、創業経営者というのは、基本的に負けず嫌いが多いので、それはそれで負けを認めたことになり、

さらに精神的に打撃をこうむり、次の事業にすら意欲を燃やせなくなる。

じゃあ、燃え尽きないようにするには、どうしたらよいか。

自分をわくわくさせる新しいことにチャレンジすることだと思う。

これまでなかった環境に身をおいたり、これまであったことのない人にあったり、これまでやったことのない仕事に手を染めてみたり。

新しいチャレンジは、心のリセットに役立つ。これからも敢えて新しいことにチャレンジしていこうと思う。

日本の学校でもリーダーシップをもっと教えたほうがいい

今息子のいっているアメリカのハイスクールでは、定期的にリーダーシップについてのセミナーやシンポジウムが開かれているようです。

今回は、コミュニティにおいて結果を出せるリーダーシップを発揮できるようになるために必要なスキルや考え方を学ぶというのが目的で、とくにソーシャル・アントレプレナーシップをテーマに討議するようです。

そういえば、息子のいっていた日本のインターでも、小学校時代からリーダーシップについてはそれが何を意味するかということを説明したり、実際に子供達がいろいろな形でリーダーシップをとるチャンスが与えられたりしていました。

最近の日本の学校の様子はわからないのですが、私の見聞きしている限りでは、リーダーシップについて定期的に学校側が情報提供したことはなかったように思います。

トップになることと、リーダーシップを見せることは、実は同一のことではない。レストランのアルバイトでもリーダーシップを見せることはできるし、一人のエンジニアがリーダーシップを発揮することもできるのです。

現在の日本をみると、もっと住みやすい国にするために国民一人一人がリーダーシップを発揮する活力が必要だと思います。そのためには、リーダーシッ プを発揮したいとか、リーダーになって社会を変えようという意気込みをもつ人が一人でも多く輩出されないとだめです。私は、日本の学校でもっとリーダー シップについて教えるべきだと思います。やはり子供達には、良いモデルが必要ですし、目指せる先を見せることが大切です。そんな人たちがもっと多くでてく れば、「1億総活躍」の担当相なんていうのなんか、ほんといりませんよ。