焼肉の大同門 社長ブログ

6年前から大阪の老舗焼肉チェーン「大同門」の社長をしています。その前は、IT企業の専務>別のIT会社の起業>同時通訳者>大阪府知事通訳。畑違いでも経営という点では共通します。経営や起業、プライベートも含めて書いてます。

User(ユーザー)には注意しよう ~Userという英語のもう一つの意味

User(ユーザー)という単語は、日本語でも大変馴染みのある言葉です。インターネットサイトのユーザーとか、アプリのユーザーというように、「利用者」ということを意味します。

英語では、もう一つ意味があります。

”She is a user."(彼女はユーザーだ)というように使いますが、この場合、知り合いや友達を自分の利益のために利用する人という意味合いとなります。

そういった人たちは、結構多く実世界にいます。彼らは、こちらの境遇が悪くなるとさーっと逃げていってしまいます。自分の利益にならないと思うと、見切りが早いのです。

彼らに利用されてしまう人は、人からよく思われたいという気持ちが大きいのではないかと思います。人からよく思われたいと思うと、自分というものがなくなって相手に合わせてしまいがち。相手のニーズを満たしてあげていると思い込んでいるのですが、相手は感謝をしておらず、実はただ単に利用しているだけ。これどこかで断ち切らないと危険ですよね。

人からよく思われても、別にだからとて人生よくなるわけでもなし、大勢に影響なし、自分のために生きよって自分に言い聞かせることかと思います。(子供のころから親によく思われたいという承認欲求が非常に強かった私としては、これを学ぶのに大変時間がかかりました。)

Usedにならないように、気を付けましょう。

 

そのときレストランはどう対応すべきだったのだろう

先週の金曜日に、羽田空港大韓航空の飛行機から出火する騒ぎがありました。その影響で多くの飛行機が欠航になりました。伊丹空港からの飛行機も含めてです。

実はその土曜日に、20年以上あっていない人を含めた同窓生とのランチが東京でありました。土曜日の朝に飛行機を予約していたのですが、もし欠航とでもなれば(そして新幹線も一杯であれば)行けなくなる。そしてレストランにも迷惑をかけるということで、金曜日の夕方にレストランに相談の電話をしました。ちなみに、ランチでも飲み物いれて10000円になるという超有名レストランが当日の場所で、主催の友達に電話すると、直接電話してほしいということだったので電話してみました。

レストランに電話をして、「すみません、明日〇〇の名前で予約が入っています。明日のランチですが、当日キャンセルすると厳しいですよね。どうしたらよいでしょうか。」といいました。

すると、「当日キャンセルは・・・」という返事だったので、「実は明日関西から行くんです。仕込みもあり、大変だと思うのですが、羽田空港の出火騒ぎで伊丹からのフライトが欠航してます。明日どうなるかが現段階ではっきりとしておらず、そちらに迷惑をかけてもとおもったのですが、念のため確認しようと。。朝一番でお返事しても良いでしょうか」と言葉を濁らせつつ聞いてみました。そうするとその男性の方が、「やはり当日キャンセルですと、困るので、本日中にキャンセルされる場合はお願いします。」という答えでした。

結局は、当日行って、食事は素晴らしかったのですが、それから考えてしまいました。

あのときレストランはどう答えるべきだったのか。

関西からわざわざこのランチのために行くといっているお客様。口調からも、ドタキャンはしたくないし、レストランの事情もわかっているが、そのために余計困っている。(ドタキャンしてよいとわかっているお客であれば、わざわざ電話してこない。)しかも、この予約は10名の予約なので、あと9名は必ずくる。

レストランの運営上は、ドタキャンは本当に響きます。そこはわかるのですが、この状況では、本当のファン作りを考えるのであれば、あるべき答えは、「できるだけ当日のキャンセルは避けていただければ当店としてもありがたいです。ただ、状況が状況です。お客様が最後まで確認されて、キャンセルということであればそれも致し方ありません。ただ、お客様または主催者の方から明日朝にご連絡いただけると当方としても助かります。」ではないかと。

もしこういう返答であったら、私は間違いなくこのレストランのファンになり、また今後もこのレストランを選んだのであろうと思う訳です。

この返答こそがホスピタリティの精神でないかと思います。

ただし、ドタキャンは本当にレストランを痛めます。予約は「行きますよっ」ていう約束事なんで、行かない場合はぜひ事前にご連絡をお願いします!

 

自分が正しい、正しくないなんて、実はどうでもいい

どうしても自分が正しいことを証明したがるというのが人間の常ではありますが、仕事において成果を出すには、実はどうでもよいことだと思います。

もちろん自分が正しいと信じているので、信念をもって仕事ができるという部分もあるし、自信にもつながっているわけなので、「自分が正しくないと思え」といっているわけではありません。あくまでも、自らの考え方も含め他の意見や考え方を客観的にみることで、他の見方が自分の考えていたことよりもその状況に適している場合に、自分が正しいというものの見方を捨てて、他の見方を選択できるかどうかが大切だという意味です。そうすることで成果がでやすくなるからです。

この世の中、はっきりいって、自分が正しい、正しくないで、動いているわけではありません。

「自分だけが正しい」と思っているタイプの人は、何かあるとすぐに不満を持ちます。上司が間違っている、会社が間違っている、自分が正しいのに周りはそれを理解しないからことが上手く行かないという不満と悲観の中で、前向きに進むことをやめて、次に自分が正しいことをわかってくれそうなところに移動していきますが、結局は同じことを繰り返します。

仕事をするものとして、成長するために是非もっておくべきスキルが、他人視点で物事を見れること。自分が正しい、正しくないはいったん横に置いて、いろいろな方向からものごとを見てある状況下での最善のアクションを判断し選択していく訓練を常にしておくことです。実は客観的なものの見方というのは、訓練していないとなかなか身に付きにくいものかと思います。

私も自分が正しいことを証明するためだけのアクションや発言にならないように、日々気を付けておりますが、まだまだ反省するときもしきり。さらに研鑽します!

コミュニティの一員であることの意識が今こそ必要--シチズンシップ教育

アメリカにいる息子の声が聞きたくて、この週末に「電話できる?」とメッセージしたら「ダイニング・ホール(学校の食堂)の掃除をしているから忙しい」と返事が帰ってきました。少し後でようやく電話がつながったので、内心なにか悪戯でもして罰として掃除させられてんじゃないのと思って、食堂の掃除について聞いたら、それぞれの寮が持ち回りで掃除をしていて今週は自分の寮の順番だったと説明してくれました。

だんなにこの話をしたところ、「コミュニティにおけるCitizenship(シチズンシップ)ということをしっかりと教えてるんだな」とのコメントだったので、興味をもってシチズンシップという言葉を調べてみました。(ちなみに、だんなはアメリカ人です)

シチズンシップとは、市民権、市民としての身分という意味です。欧米では、コミュニティを構成する一人ひとりに与えられた地位身分をもつものは、権利と責任も平等にあると考えており、シチズンとして、他人を尊重したり、個人の権利と責任、人種・文化の多様性の価値など、社会の中で円滑な人間関係を維持するために必要な能力を見つけるためのシチズンシップ教育を重要な教育として捉えています。アメリカでは、連邦政府からこの教育について補助金もでるようです。

自分たちが使う食堂を、誰かが掃除してくれるのではなく、自分たちの責任で清潔な場所にしておく。コミュニティを使う権利に伴う責任。これを実体験の中から教え込むというのは、とても素晴らしいことだと思いました。

ダイバーシティがさらに進む日本社会に生きる私たちにも、大変必要な教育ではないかと思います。

どんな提案者の企画を採用すべきか

うちの会社でも企画提案というのはしょっちゅう行われています。その企画を採用するかどうかは、企画内容そのものはもちろんですが、提案者がどれだけ自分の企画に責任を持って提案しているかも重要な要素だと思ってます。

提案者の責任意識は、ある程度企画に見ることができます。ダメな一例をあげると、コンサルタント型の提案。よくコンサルタントがやるように、情報は大盛りです。他ではこういうのがこれだけ流行っている。うちではやってない。だからやったら成功するはずだという三段論法です。ところが、それが自社にあったものかどうかという深い検証はない。また、本人は企画者に徹しており、実行者は別におくパターンも結構あります。実行にこそ成功するか否かの境目があるというのに。このようなタイプの企画を通してしまうと、失敗しても、提案者は実行者の責任にして、自分の企画はよかったが実行部隊がわるかったと言い訳をいいかねません。

または、やってみないとわからないから自分を信じてほしいという教祖型の提案もあります。成功の仮説もたてれないのであれば、その仮説をどのように実現すれば成功できるのかも実際のところ深く考えていないため、企画の実現はまさに運次第というわけです。こういう提案は、結局成功させるという責任感が欠如しているため、成功の確率が低くなります。

企画提案における責任とは、必ず成功させると約束することではなく、成功の勝率を高めていく努力をし続ける覚悟を持っていることだと思います。そこがある提案者には、思い切ってまかせ、よしんば失敗してもそこから学んでもらうのが良いと思います。

もちろん、ビジネスにおいての企画なんて、すべて成功することはありません。成功は多くの失敗から生まれてくるものです。ただ、ビジネスに身をおくものとしては、成功の確率、つまり勝率をどうやってあげていくかということを常に追求すべきです。

 

 

 

社長になりたい人を社長にしてはいけない

社長になりたいとすごく思っている人を社長にするのは大変危険だと思ってます。

なぜかというと、そのような人は往々にして、社長になること自体が目的で、経営を執行する準備ができていない場合が多いと思われるからです。

私自身も30初めまで「社長」というものになりたかった時期があります。

もちろん、社長のもつ責任や経営で何をしなければならないのかなどはわかってません。親の会社をみながら、自分だったらこんな会社にできる、とか、自分であれば今の社長よりももっと先進的で新しいことができるとか、甚だ傲慢なことをお腹の中でぐるぐると思っていたわけです。

今から考えると、あのときの私を社長にしていたら、その会社は可哀想だったなぁということ。社長として責任の重さの認識やその重さを背負い込む覚悟もできてませんでした。しばらくして、「ごめんなさい〜」とギブアップしてたかもしれません。

その後起業して念願の「社長」になったわけですが、

そこでようやく、社長なんて「足りないこと」「できないこと」だらけだということに気がついたわけです。ないないづくしの中で、いかに利益を出せる会社を作っていくか。ほんと経営なんてかっこいいことってあまりありません。

社長になりたいのであれば、「苦労せよ」、「責任の重さを痛感せよ」といっているのではありません。あなたはなぜ社長になりたいのでしょうか。社長という肩書きに憧れているのでしょうか。それとも、肩書きにまとう「パワー(権力や金)」が欲しいのでしょうか。そうであれば、そんな簡単なものじゃないですし、社長という肩書きは「トロフィー」でもないので、やめておくべきです。それでは従業員が不幸になり、その結果会社が不幸になります。

そうではなく、社長として達成したいことがあるんだというのであれば、自ら起業してすぐに社長としてやればよいだけで、別に誰かが社長にしてくれるのを待つ必要はありません。

極論ですがそういう意味では、社長になるのを嫌がっているぐらいの人が社長になったほうがよいかもしれません。社長の仕事の大変さを知っているからです。

 

 

成功する人に見られる「グリット」という要素

「グリット(grit)」というのは、勇気や決意、やりぬく性格の強さとかを意味する言葉ですが、これが成功者に共通する要素として紹介されることが最近多くなっているような気がします。

そういえば、2010年のコーエン兄弟の映画にTrue Grit(邦題「トゥルー・グリット」、そのまんま、、)というのがありました。これは少女が父親殺しのかたき討ちで犯罪者を追跡するという映画で、確か 昔の映画のリメイク。主人公たちの勇気とかぜったいやるぞというようなところを表しているよいタイトルだと思います。(ただし、カタカナのままの日本語 じゃ、ちょっと伝わらないですよね。。。)

フォーブスForbes.com)でも、「グリット」をcourage(勇気)、conscientiousness(誠実性)、long- term goals and endurance(長期目標の設定と忍耐)、resilience(回復力), excellence vs perfection (完璧であることでなくエクセレンスを常に追求)という5つの側面から解説してました。これからみても、「グリット」って、「人間力」の一つなんでしょう。今までは成功するための知識面やスキル面が重要視されてきましたが、ようやく本質の部分、つまり「人間力」を高めることの必要性が問われる時代になったのではないかと思います。

「グリット」というものに改めて注目させるきっかけになったのがAngela Lee DuckworthさんのTedTalkと いわれます。彼女はトークの中で、成功と生まれもった才能と知能は関係ないといってます。生まれつき素晴らしい才能や知能を持っているにも関わらず、十分 な結果が得られなかった人はたくさんいるが、それはただ単に、その才能・知能を伸ばすための長期的な、継続的な努力が足りなかっただけなのだと。

やっぱり、「継続は力なり」なんです。